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研究会・シンポジウム



ハイチ系アメリカ人作家の仕事
エドウィッジ・ダンティカセミナー参加記
佐々木 一彦

 今年最初のCPASセミナーは、1月24日にハイチ系アメリカ人女性作家エドウィッジ・ダンティカ氏を迎えて行われた。"Caribbean Influence on Contemporary American Culture" と題された講演会には、大使館関係者、出版関係者、学内外の読者に加え、文学・歴史学・人類学など幅広い分野の学生・研究者が多数参加し、会場は満員となった。彼女はまず最新の作品集『クリック?クラック!』から、ハイチ的な文化や感性、ハイチ系アメリカ人としての葛藤を静かに湛えた「カロリンの結婚式」の一節を朗読した。そしてそのあと、経済・文化・政治の3つの観点から、カリブ文化が及ぼしているアメリカ文化への影響について簡明に解説した。

 はじめに経済について。ニューヨークにやってくるカリブ系移民の人口は非常に多く、それによってビジネスマーケットが形成されている。起業家は移民を相手に各種サービスを提供するビジネスを始めることができ、移民は言語的・文化的な適応においてこれに助けられる。カリブ系アメリカ人社会においては、ボデガと呼ばれる床屋兼雑貨店がしばしばコミュニティの中心としての役割を担っているが、これもビジネスであると同時に文化的・社会的な「結び目」となっているのである。

 次に文化について。まず音楽に関して言えば、19世紀初頭に多数のハイチ人がニューオリンズに移住したために、アメリカのジャズ・ミュージシャンの多くがハイチ人を祖父母に持つ。また、ニューヨークのラジオではレゲエやサルサが一日中流れているし、ローリン・ヒル、リッキー・マーティンらの大ヒット曲ももちろんカリブ音楽にルーツを持つ。文学に関しては、カリブ文学の中心はニューヨークであると言われるほどで、彼女自身のほかマリーズ・コンデ、エドゥアール・グリッサン、カマウ・ブラスウェイトなど著名なカリブ系作家たちがアメリカで活動している。彼らの多くは大学で教えており、その存在や考え方は研究者や作家に大きな影響を与えている。また、伝統的に外来語を必ずイタリック表記してきたニューヨーカー誌が、ジュノ・ディアスの作品中のスペイン語を通常表記したことも、カリブ文学の影響として象徴的である。

 そして最後に政治。これはこれからの進展が最も望まれる分野である。政治の世界で大きな力を持って活躍しているカリブ系アメリカ人はコリン・パウエルなどごく少数で、カリブ系の政治家の存在を彼ら自身がまだ特別視している状況がある。その一方で、ハイチ系移民が警官に殺害された事件の際など、カリブ系の政治的代表者を求める声が切実に高まる場面もある。しかしカリブ系アメリカ人が政治的な影響力を持つようになるには、まだまだ時間がかかるだろう。

 カリブ系アメリカ文化入門とも呼べるこのようなレクチャーの後、フロアからは多くの質問が投げかけられた。彼女自身の生い立ち、政治的立場、教育の問題、それに最近の事件についての見解など、質問のほとんどは作品の外部にある「作家本人」や「社会」に関するものであったが、彼女はその一つ一つに明快に答えていった。「私はプロテスト・ライターではないのですが」「個人的見解ですが」と断りはするが、彼女はカリブ系アメリカ文化のスポークスパーソンとしての役割に熟達しており、聴衆の方もそれを暗黙のうちに彼女に求めているように見えた。

 彼女が朗読した「カロリンの結婚式」は、穏やかな韻文的リズムと色彩感あふれる描写が冴える、味わい深い小説=フィクションである。また一方で、その底流にはもちろん、ハイチ人の苦難の歴史やカリブ系アメリカ人の葛藤といった「現実の」社会的要素が避けがたく存在している。彼女の作品が文学史に綴られたりアンソロジーに収められたりするとき、あるいは彼女の本が買われたり批評されたりするとき、私たちの大部分が注目し、語り、消費しているのは、やはり小説の外側にある現実社会についての言説なのだろうか。

(ささきかずひこ:東京大学大学院)



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