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研究会・シンポジウム



アメリカの覇権の確立と経済学の「知」の構築
バーンスタイン研究セミナー参加記
土屋 和代

 2000年12月2日、カリフォルニア大学サン・ディエゴ校歴史学部のマイケル・A・バーンスタイン教授による講演会がアメリカ太平洋地域研究センターで行われた。“Statecraft and Expert Knowledge: Rethinking Economics and Public Policy in Twentieth Century America”と題された講演で、バーンスタイン氏は、戦後アメリカ政府の安全保障政策に経済学の専門家が深く関与していただけではなく、「主流派」経済学の「知」そのものがアメリカ政府の意向を大きく反映してきたことを鋭く指摘した。

 アメリカ経済史の専門家として名高いバーンスタイン氏には数多くの著作・論文があり、1930年代のアメリカにおける大不況の長期化の原因を分析した1987年の著書は日本語にも翻訳されている(『アメリカ大不況−歴史的経験と今日的意味』)。近年は、第二次世界大戦から冷戦期にかけての専門家の役割を批判的に検討した論文を幾つも執筆しており、1996年には『ラディカル・ヒストリー・レビュー』で“The Cold War and Expert Knowledge:New Essays on the History of the National Security State”と題された特集の中心的な編者となった。バーンスタイン氏は、本講演において、こうした近年の研究をさらに発展させて、「伝統的な経済思想・政策の歴史」に対して、アメリカ政府の意向と専門家の「知」の構築との関係を探る「政治史・社会史」を提示した。

 バーンスタイン氏はまず、安全保障政策への経済学者の関与がいかに「主流派」経済学の流れを変えたかを説明した。第二次世界大戦後、個々の選択の可能性のみならずゲームの持つ不安定さや対立要素まで提示できる「ゲーム理論」がアメリカ経済学において中心的な位置を占めた背景には、それにビジネス界のみならずアメリカの国防省までもが多大な関心を示したことがあったと指摘した。カリフォルニア州のRAND Corporationや北大西洋条約機構(NATO)はゲーム理論の研究を奨励するため大学院生向けの奨学金を出したが、このことはゲーム理論をさらに戦後のアメリカ経済学の中心的位置たらしめることとなった。経済学が戦後アメリカの国防政策に密接に関係した点こそが、経済学を「権威、影響力、予算」に加えて「教員の給料」においてでさえ、社会科学の中における優越的地位に導いた背景となっていると指摘した。

 第二に、バーンスタイン氏は、こうした経済学の「権威」がその後増大し、政府による「権威」の制度化が行われたと説明した。トルーマン政権下で「経済諮問委員会」が設置されたことや軍事費の増大によって、戦後の「パクス・アメリカーナ」の確立とアメリカ経済理論の発展はさらに深く結びつくこととなった。アメリカの経済学は、戦後のアメリカの冷戦イデオロギーをつくりだした「行為主体(agent)」であると同時にその「被害者」でもあると氏は述べた。

 第三に、こうしたアメリカの政策や経済学が今日他国にどのような影響を与えているかをバーンスタイン氏は考察した。旧ソ連の崩壊と東アジア経済の不安定化により、アメリカ経済学は再び第二次世界大戦直後と同様影響力ある立場に立っていると氏は指摘する。アメリカのビジネス・スクールがロシア等で設置されたり、経済学の専門家が東欧諸国の社会科学分野の「改革」のために送られている点は、アメリカの覇権、優位的立場を正当化するものであると氏は厳しく批判した。そして結論として、専門家による「知」の構築がアメリカの軍事・外交政策といかに関係しているかを再検討することの重要性を強調した。

 こうしたバーンスタイン氏の刺激的な講演に対して、セミナーの参加者からは、アメリカ政府の意向が大学での教育活動にいかに影響を与えているか、氏の用いる“National Security State”という用語の定義、企業家と経済学者との関係、経済学者がどれほど氏の指摘した問題に自覚的であったか、「アジア太平洋地域」の研究が今日活発化していることの意味、アメリカの経済学における経済史の位置等多数の質問がよせられた。特に軍事政策と社会政策との関係を尋ねる質問に対して、氏は1960年代のベトナム戦争とジョンソン政権による「偉大な社会」事業の関係性を取り上げ、双方が同時期に起こったのは決して偶然ではなく、むしろ軍事支出と社会政策の拡大が密接に結びついていた点を指摘した。また、日本との比較に関する質問に答える中で、氏は本講演のもう一つの目的は、「社会史・文化史の台頭の中で、‘流行遅れ’とされる経済史もまたイデオロギーや文化の研究に貢献できる点があることを示すことにある」と述べていた点が非常に印象深かった。

 本講演は、経済学の「知」そのものがいかに構築され、消費され、分配されていくかを分析することで新たな経済史の可能性を提示するものであり、アメリカ経済史の分野のみならず専門家による「知」の構築そのものの政治性を問い直す非常に刺激的なものであった。

(つちやかずよ:東京大学大学院)



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