cpas

研究会・シンポジウム



クローンされるのは誰か?
マーリーン・バー研究セミナー参加記
都甲 幸冶


 2000年7月25日、ミシガン州立大学のマーリーン・S・バー教授をアメリカ太平洋地域研究センターに迎えて講演会が行われた。"Sheep Cloning and Feminist Discourse"と題された講演でバー教授は、1997年に出現したクローン羊ドリーをめぐって繰り広げられた、ジャーナリズムから文学に至る幅広い言説を、フェミニスト・サイエンスフィクション批評という立場から読み直した。

 クローンの出現によって問題になるのは、クローンという技術そのものではなく、誰が複製され、誰が複製されないかだと彼女は説く。アインシュタインのクローンを生み出す意義について男性のラビが語り、『タイム』誌は独裁者や産業界の大立て者が自分の息子としてクローンを使うだろうと言う。アーシュラ・ル・グィンなどのSF作品でなされてきたクローンについての思考を引きながら、バー教授はこれらジャーナリズムの言説を批判する。ここで複製に値するとされているのは、現在の父権制社会で力を持った白人の男性であり、ゲイやユダヤ系の女性、有色人種は暗に排除されている。だがこのような複製と排除はすでにクローン以前から行われているのではないか。男性は自分の鋳型に合わせて若い男性を育て上げ撒き散らすことで社会を牛耳っている。したがってアル・ゴアはゴア上院議員のクローンであり、ジョージ・W・ブッシュに至っては父親とWしか違わない!このような状況を支えているのは多様性を嫌う怠惰な精神である、と彼女は言う。だが一方で、クローン技術自体を批判することはない。むしろ、クローン生殖技術のおかげで男女とも社会に押しつけられた性のカテゴリーから解放され、お互いに慈しみあうことのできる様々な新しい関係が開かれる可能性があると述べる。

 彼女の闘争はこの、カテゴリーを越えていくというところにある。講演のあと多数の参加者から寄せられた質問に答えて、初めて訪れた日本で見た若い女性たちを、あまりに服装が似通っていてクローンとしか思えないと批判しながらも、ヘアダイなどのテクノロジー(!)で「日本人性」を乗り越えようとしていると評価する。しかも彼女は、男性研究者の権威を保つためとしか思えない、アカデミズムの堅苦しさに抗うべく、笑いを多用する。例えば、雌羊ドリーが生みの親であるウィルマット氏に鼻先を押さえられている写真について、このようにして女性は男性に沈黙を強いられてきたと言いながら、ドリーに成り代わって「バー!」と叫ぶ。このとき彼女は人間からクローン羊に変化し、しかも自分の名前を叫んでいる。まるで、わたしを黙らせることはできないという決意表明であるように。カテゴリーを乗り越えていくという姿勢は、著作『男たちの知らない女』(勁草書房)でも貫かれている。もともとはロバート・スコールズの用語であるファビュレーションを拡張した、フェミニスト・ファビュレーションという概念を彼女は主張する。我々の世界と断絶した世界を描きながらも鋭く父権的な現実を批判するフィクションであるフェミニスト・ファビュレーションは、しかし女性以外の作家を排除しない。ゲイだろうが男性だろうが父権制と戦う者たちとは共闘するというのがバーの姿勢である。マーガレット・アトウッドと村上春樹を同列に論じる彼女には新鮮な驚きを覚えさせられる。確かにダナ・ハラウェイも言うように、少数派の抵抗について語るものはえてして自分たちだけに閉じこもってしまいがちである。その点で、闘いの中にも他の人々へと開いていこうとするバー教授の思考は示唆的である。

(とこうこうじ:東京大学大学院)



研究会のページに戻る

戻る