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研究会・シンポジウム



戦後アメリカのパブリック・アートをめぐる論争
ブレイク研究セミナー参加記
岸本暁子


 1999 年7月2日アメリカ研究資料センターの会議室において、コロンビア大学(歴史学・アメリカ研究)のケーシー・ブレイク(Casey Nelson Blake)教授による講演があり、多数の参加者があっ た。講演のテーマは1960 年代以降にアメリカ政府の資金援助を受けたパブリック・アートをめぐる論争だった。ブレイク教授のユニークな視点は、従来の美術史のように 作品やアーティストのみに注目するのではなく、作品が製作された背景やそれを取り 巻く政治論争に光を当てる点にあった。

 講演によると、1960 年代のケネディ政権のもとで、パブリック・アートの「リベラ ル・モダニスト計画」が行われた。それによってアメリカ連邦政府が、モダニスト的 なパブリック・アート(抽象的な壁画や彫刻)を財政的に支援した。その裏には、アーティストに自由に作品を製作させ、パブリック・アートを利用して大衆の趣向とナショナリズムを昂揚させ、都市再開発を促進することに目的がおかれた。

 しかし、このような政府の支援を受けたパブリック・アートは1967 ー1969 年に批判 を受けるようになる。モダニストのパブリック・アートは自由な解釈を許すと言われ ていたが、実際は批評家・行政府の思惑を人々に押し付けるものであり、人々に自由 にアートを解釈する余地を与えなかった。さらに、モダニストのアートはしばしば時 間と空間を超越するものとして考えられたため、アーティストの視点を地方に押し付 け、地方の要望に反することが多かった。例えば、記憶・伝統を重んじ、地域にとっ て意義のある記念碑を望む人々は、コスモポリタニズムを象徴し地域とは切り離され たモダニズムのアートを批判した。この論争は、誰がどのようなパブリック・アート を設置する権力を持ち、誰が公共の空間を所有するかをめぐる抗争だった。

 1970 年代になると、公共空間のためのモダニスト・アートに対する反論がさらに激しくなった。抽象的なモダニストのパブリック・アートは従来のアーティストに受けいれられず、またマイノリティもそれが自分たちの文化や伝統とは無関係であると批判した。そこで、連邦政府は政治的・社会的にリベラルなアーティスト(マイノリテ ィ、フェミニスト、エコロジスト)や権力・家父長制を象徴する記念碑に挑戦する若 いアーティストに財政支援をするようになった。しかし、社会運動が下火になると、 明らかに政治性を持つアートは周縁に追いやられ、フォルマリスト的、とくにミニマリスト的なアートが盛んになった。だが、これらも地域性のない、地方の状況を無視したアートとして人々に蔑視された。

 1970 年代の後期から1980 年代の初期には、外部の専門家による介入や私的文化施設による公共空間の占有化に対する怒りが起こり、モダニスト・アートは都市の腐敗・ 衰退を促進し、地域文化を破壊するものと見られるようになった。もっと地方の記憶を重視し、地方の伝統に乗っ取ったアートが望まれた。そこで、モダニズム後のパブ リック・アートは、一つはより民主的で参加型の多文化主義的な「共同体によるアー ト活動」、もう一つは押し付け型の保守的で懐古的・愛国的なアートがその主流になった。これら二つのアートは相反する動きであり、現在アメリカで起こっている多文 化主義とそれに対する反発を象徴していて興味深い。これから連邦政府がどちらをより財政的に支援するかは、今後のアメリカの多文化主義に対する政策を方向づける点で注目すべき問題である。

 ブレイク教授はスライドをふんだんに使い、さまざまなパブリック・アートの事例 を紹介した。しかし、講演の大部分がパブリック・アートをめぐる論争の歴史にあてられ、パブリック・アートをめぐる今日の議論そのものに踏み込んだ言及が期待したより少なかった。誰が権力を持ち、何をアートと決断し、どの空間に設置するかは、 スミソニアン航空宇宙博物館のエノラ・ゲイ展示をめぐる論争にも見られるように非常に重要な問題である。(これは質疑応答の時にも短く触れられた。)エノラ・ゲイ 論争の場合はより歴史的に文脈化された原爆展示を試みようとした博物館が、退役軍 人らの反対運動に会い原爆展の中止を余儀なくされた。これは、連邦政府に財政支援を受ける機関が、社会の保守層の圧力に屈した例である。逆に、公共空間が連邦政府の財政支援を受けることによって権力と結び付き、人々に一定の思考を押し付ける可能性もある。その思考が多文化主義的なものか、あるいは保守的なものかは非常に重要な問題なのである。

 アメリカ社会における多様な公共空間の政治性を論じたブレイク教授の講演は非常に意義深いものであった。

(きしもと きょうこ / ボーリング・グリーン州立大学院)



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