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研究会・シンポジウム



第二次世界大戦下ハワイにおける人種とジェンダー
ベイリー研究セミナー参加記
梶川 美穂子

1999 年6 月3 日、ニューメキシコ大学 アメリカ研究学部のベス・ベイリー教授をアメリカ研究資料センターに迎えて講演会が行われた。「Constructing Race and Gender on the Border of War :The Politics of Identity in World War II Hawaii」と題された講演で、ベイリー教授は、第二次世界大戦下のハワイにおける米軍兵士たちのアイデンティティ(再)形成のプロセスを人種、ジェンダーという二つの分析視座から語った。今日、世界的規模で拡大する人口の移動やグローバリゼーションの時代潮流を反映して、偏狭的ナショナリズムや地域研究の閉鎖性を問題化する議論が活発に繰り広げられている。そのような国民国家の枠組みへの挑戦に対して、ベイリー教授の講演は、統一体としての国家や国民文化と、国家の中に存在する多様性の問題を対立させるのではなく、相互の関係を実証的に問い直す試みとして大変意義深いものであった。

 ベイリー教授は、まず、第二次世界大戦開戦によってもたらされたハワイ社会の構造的変化を説明した。ハワイは、1941 年12 月の真珠湾攻撃と太平洋戦争開戦を契機に合衆国本土各地から多数の米軍兵士や軍関係者達が押し寄せたことで、多様なアメリカ人が出会い、接触し、時には摩擦を引き起こす空間を形成した。戦争に勝つための国家の統一が求められる中、ハワイでは様々な人々が接触したことで、国民共同体内に存在する差異や対立が強調された。合衆国本土出身の米軍兵士たちは、特に人種やエスニシティについての差異や多様性を大戦下のハワイで直接的に体験したことで、既知のものとは全く異なる人種意識にもとづいたアイデンティティ(再)形成のプロセスをたどることとなった。

 また、戦争によって、国家の中に存在する男女の差異も強調された。開戦による米軍兵士の流入に伴い、軍事拠点ハワイには男性人口の激増とそれに見合う数の女性の不足が生じた。オアフ島の歓楽街、Hotel Street には売春宿が立ち並び、米軍の管轄下のもとで兵士相手の売春が行われるようになった。一方、地上戦を免れた合衆国では、国のために死ぬこと、殺すことについての同意に基く戦争プロジェクトに女性が直接的に参加しなかったことから、性差にもとづく極端な男女の役割分担が構築された。このように、戦争によって男女の間に存在する差異や隔たりが際立つ結果となったが、その一方で、人種、民族の境を越えた男女の接触が生まれ、男女が差異や相互補完性を強調することで双方を結ぶ新たな形の連携を不安定ながらも築いていったことをベイリー教授は指摘した。最後に、ベイリー教授は、第二次世界大戦下のハワイにおける米軍兵士たちと彼らをとりまく多様なアメリカ人の出会いと摩擦を、1950 年代、60 年代の合衆国の公民権運動を予見するものとしてとらえる歴史観を提示して講演を締めくくった。

 セミナー参加者からは数多くの質問が寄せられたが、とくに本講演のもととなったベイリー教授とデイヴィッド・ファーバー教授の共著、『The First Strange Place: Race and War in World WarII Hawaii 』についての質問が目立った。本著の優れた特徴として、公的な資料に加えて、日記などの個人的な記録を活用した丁寧な資料分析が挙げられるが、それを反映してか、個人情報に関する資料収集の方法や、インフォーマントとの関係作りについての質問が相次いだ。ベイリー教授は、個人的な資料を多用したその研究方法について、インフォーマントたちとの個人的な友情関係ゆえに、彼女の語りが「センチメンタル」になった面もあり、それが本著の弱点でもあると述べた。しかし、そのような研究対象に対する愛情や思い入れの強さは、弱点というよりはベイリー教授の研究スタイルにおける魅力的な特徴のひとつであるように私には思われた。

 さらに議論を発展させるならば、フーコーらによって論じられてきた国家による性の管理や、ナショナリズム形成における人種・ジェンダー・階級の相互作用の問題などを今回の講演の延長に設定することが出来るだろう。これらの問題を検討することが、地域研究の閉鎖性への批判に応えつつ地域の重要性やその意義を示す具体的な学問的介入方法を探るための糸口となるのではないかと思われる。

(かじかわ みほこ・コーネル大学院)



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