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研究会・シンポジウム



メルヴィル批評の現在
マロヴィッツ研究セミナー参加記
舌津 智之

 1998 年10 月23 日、米国メルヴィル協会の前会長、サンフォード・マロヴィッツ教授をアメリカ研究資料センターに迎えて講演会が行われた。ハーマン・メルヴィルというアメリカ文学史上の巨人をめぐる講演とあって、(筆者を含め)学外からの飛び入り参加も数多く、会議室は満席となる盛況ぶりであった。メルヴィル研究は今、フォークナー研究とならび、多岐にわたるアメリカ文学研究の中でも、とりわけ日米の学術交流がめざましい分野である。マロヴィッツ教授は、日本のメルヴィル研究誌『スカイホーク』に寄稿した最初の海外研究者でもあり、越境する日米のメルヴィル批評をグローバルに見守ってこられた貴重な存在である。

 近年、アメリカ本国では、メルヴィルの新しい評伝が相次いで出版され、文学作品の背後にある伝記的・歴史的文脈の意味づけをめぐって種々の議論が交わされている。(これについては、『英語青年』1998 年12 月号に掲載された加藤雄二氏による書評を参照されたい。)マロヴィッツ教授の講演は、このような状況をふまえつつ、『タイピー』や『白鯨』を書いた青年メルヴィルではなく、『ビリー・バッド』を書いた晩年のメルヴィルに注目し、老作家の脳裏に去来したであろう個人的な記憶(息子の死、従兄弟の関わった海軍の反乱事件)や当時の彼の読書体験(バルザック、ショーペンハウアー、ウィリアム・ディーン・ハウエルズ、英国詩人ジェイムズ・トムソンなど)を手がかりに、ビリーとヴィア船長をめぐる寓話の実証的な解読を試みるものであった。この議論は、少なくとも潜在的に、老い(エイジング)とジェンダーの問題系をメルヴィル批評に導入するものであると同時に、通常ロマンティシズムの残照とみなされる『ビリー・バッド』をリアリズム/自然主義という同時代の文脈に置き直すという意味において非常に斬新な試みである。

 さらに議論を掘り下げるならば、そのような自然主義的決定論・宿命観とダーウィニズムの関係についても新たな様相が見えてくるだろう。『ビリー・バッド』と並ぶメルヴィル晩年の最重要作『クラレル』では、ダーウィンに一度ならず直接の言及があることは注目に値する。『白鯨』や「魔の島々」を執筆当時の若きメルヴィルが意識した進化論言説については、日本でも巽孝之氏の『恐竜のアメリカ』に詳しいが、年老いた詩人メルヴィルの目に映ったダーウィン像に光を当てるとき、信仰と(性)科学の狭間に揺れたロマンティック・リアリストの逆説的世界観がはじめて立体化するはずだ。

 ともあれ、マロヴィッツ教授の長いメルヴィル研究歴に裏打ちされた老練の洞察は、しかしながら高齢を全く感じさせない教授の溌剌とした語り口とあいまって、出席者に良質の刺激と新鮮な感銘を与えてくれたと思う。アメリカ研究と文学研究の実り多き交わりの場を今後とも切に望みたい。

(ぜっつ ともゆき・東京学芸大助教授)



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