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研究会・シンポジウム



縫い合わされた記憶:カルチュラルスタディーズそしてアート・ヒストリーにおけるキルト
ターナー研究セミナー
江崎 聡子

 開拓時代以来、主に女性達によって縫い上げられてきた手工芸品であるキルトは、日常生活の実用品、物であると同時に、芸術作品としての美しさを持っている。

 近年、カルチュラル・スタディーズにおいては、人間の手によって生産された物に着目し、その物のある特定の時代と場所における生産様式や消費と流通の構造を明らかにすることを通じて、最終的に当時の社会的、文化的状況の考察へと到達するという作業がしばしば行われてきた。いわば、従来の学問的研究においては「小さな」あるいは「周縁的」なものとしてしばしば看過されてきた対象の研究の蓄積によって、「大きな」「中心的な」物語の再解釈が試みられてきたと言えるだろう。

 このようなカルチュラル・スタディーズの動向に少なからず影響をうけた、フェミニズムの美術史家グリゼルダ・ポロックは、その著Old Mistresses:Women, Art and Ideology(1981, London )において、女性によって生産された手工芸品の芸術作品としての再評価をめぐる議論の一例としてアメリカン・キルトを論じている。ポロックはキルト制作や受容のもつ共同体における私的、社会的、政治的、宗教的機能を指摘し、キルトはいわゆるハイ・アートの制作、受容とはことなったコンテクストにおいて論じられなければならないと考えている。キルトは女性の共同作業によって作り出され、実用品として多くの人に享受され、かつそこには芸術作品としての美しさが備わっているというのだ。ポロックは、キルトを単なる女の手工芸品として軽視することは、あるいはまた、もっぱらそのデザインの抽象性に着目して、従来のハイ・アートの枠組みに強引に組み入れて評価することは、女の歴史、女の芸術作品、女の仕事を抹殺するに等しいと忠告している。キルトのみならず女性芸術家達の作品を評価するためには、男性中心主義的な構造をもつ従来の美術史制度やその言説とはことなる新たなシステムを導入しなけれならないと考えている。美術史の分野においても、従来は芸術作品としてはみなされていなかったような「小さな」対象の研究から、「大きな」物語への挑戦が始まっているのである。

 さて、現在、カリフォルニア大学デイヴィス校のアフリカン・アメリカン・スタディーズで教鞭をとるパトリシア・ターナー教授による今回の講演は、主に十九世紀後半以降のアフリカン・アメリカンによるキルトをテーマとしたものとなった。ターナー教授はスライドを豊富に駆使し、一つ一つの作品を丁寧に解説しつつ、また同時に、キルト制作の背後に見られるアフリカン・アメリカンをとりまく社会的、文化的状況に言及することも忘れることはなかった。とりわけ印象深いのは、これらのキルトに見られる非対称なインプロヴィゼイショナルなパターン模様とジャズとの関連性や、奴隷解放運動においてキルトやキルト共同制作の場が果たした機能についての指摘である。後者に関しては、アフリカン・アメリカンキルトのみならず、白人女性によるメイン・ストリーム・キルトの制作現場もまた、奴隷解放運動を支持する一つのコミュニティーとして機能していたとの指摘があった。また、キルトが奴隷解放後生計を立てることが困難になったアフリカン・アメリカン達の一収入源として、経済的な意味を持っていたとの説明もあった。

 キルトを語ることが、キルトが記憶する場所や時間、そしてそこに生きていた人々の思い出を、さらには歴史を新たに蘇らせることになるならば、そのようにキルトを語ることができるならば、カルチュラル・スタディーズやまたニュー・アート・ヒストリー的観点からも、キルト研究は非常に興味深いものとなるだろう。そして、そのような方向性や可能性を示唆した今回の講演は非常に意義深いものであったと言えるだろう。

(えざき さとこ・東京大院)



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