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研究会・シンポジウム



アメリカ宗教のメインストリームとモルモン教
シップス研究セミナー
橋川 健竜

 1997 年度第3 回アメリカ研究セミナーは6月5 日(木)、主著『モルモニズム』で知られる、インディアナ大学名誉教授ヤン・シップス氏を迎えた。講演「モルモニズムとアメリカ宗教のメインストリーム」で、シップス教授は、合衆国憲法の第1 修正条項で政教分離を掲げたアメリカが、なぜ1 9 世紀に国家をあげてモルモン教を攻撃したのかを問うた。モルモン教は旗揚げ当初には攻撃されなかった。その教義が、宗教・社会生活の規範に関する社会の認識と次第に相容れなくなり、攻撃されるにいたったのである。

 団体としてのモルモン教は、教祖ジョセフ・スミスが『モルモン経』を翻訳、出版し、自らを大背教いらい再建されていなかった真の教会と神権を回復するキリスト教会である(第一の回復)、と主張した1830 年に出現する。この時点では、モルモン教はキャンベル派やその他の自称正統キリスト教集団と同じ扱いを受けた。続いてスミスらは、モルモン教徒の体にはイスラエルの民の血が流れていると主張、自らを神の選民、非信徒を異邦人と位置づけ(第二の回復)、独自の自己・他者認識を打ち出す。さらに「全てのものの回復」(第三の回復)では、一夫多妻制が是認され、これはモルモン信徒を独自のエスニック集団にまとめる上で大きな役割を果たした。こうした動きが見られる一方で、アメリカ社会一般では、18 世紀の北米植民地を貫いていた家父長的な社会構造が独立革命期から19 世紀前半にかけて攻撃され、崩壊しつつあった。この状況下で、モルモン教の教義の発展は、家父長制を復活させる試みとも見えた。社会はモルモン教徒を「他者」と位置づけ、結果としてスミスは殺害される。その後内部分裂を経て、ブリガム・ヤングをいだく一派(末日聖徒イエス・キリスト教会)はユタへと移住し、第三の回復を拒否する少数派は復興末日聖徒(RLDS )と名のり、ミズーリに残留した。

 出席者からは、モルモン教とキリスト教の教義、特にピューリタニズムの選民思想との相違、またエスニック集団としてのモルモン信徒の凝集力、その時期ごとの変遷、などの質問があった。シップス教授の回答の後、司会をつとめた高山真知子教授(江戸川大学)とシップス教授から、アメリカにおけるモルモン教研究の盛況ぶりのレポートと、雑誌『宗教とアメリカ文化』の紹介があった。とかくユタへの移住、ソルトレイク・シティ建設、そして一夫多妻制が強調されるモルモン教を、最初から異端と切り捨てず、その初期の教義と社会一般の認識変化との応酬の中に置くという論法は、基礎的でありながら新鮮で、宗教思想研究の醍醐味を味わえるものであった。休憩もとらずに講演と質疑に応じて下さったシップス教授に感謝の意を表したい。

(はしかわ けんりゅう・コロンビア大学院)



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