文部省科学研究費補助金「特定領域研究(B)」



安全保障班 1999年度活動概要・研究会議事録


1999年度活動概要

本年度の安全保障班の活動は(1)研究会、(2)現地調査、(3)(アメリカの安全保障政策の資料にかんする)ネットワークの作成、の3つに分けられる。研究会は8回行い研究を進めるとともに研究分担者間の相互理解を深めた。研究会はオセアニア、中国の人権、東アジアとアメリカ、経済安全保障、アメリカの安全保障等多岐にわたり、分担者だけではなく、外国人講師を含めて行われた。現地調査は、二人アメリカに赴き、中南米とアメリカとの関係、またアメリカの安全保障政策に関して資料収集、インタヴューを行う予定である。また、インターネットを通してアクセスできるアメリカの安全保障に関する資料を体系化し、マニュアルを作りつつある。

1999年度研究会議事録
凡例:1)会議あるいは報告タイトル、2)報告者、3)日時、 4)場所、5)コメンテイターなど、6)会議の概要

第1回

1)ARFと米国の安全保障

2)山影進

3)99年7月29日

4)東京大学大学院総合文化研究科

5)出席者:山影進、恒川恵市、木畑洋一、古城佳子、山本吉宣

6)概要:

本報告の趣旨は、最終的には「ARFと米国の安全保障」という論文を書くという目標へ向けて、その前段階として、ASEANから見てのアセアン地域フォーラム(ARF)の形成の歴史を追うことである。ARFは冷戦終結という激動を経て創設されたものであるが、アジアにおける激変の第一の波は、70年代初頭、米中和解、ベトナム戦争終結であった。この激変を受けて、東南アジアの自律性を促進し、アメリカ・中国からの影響から自己を守るために、もともとはマレーシアの中立構想にもとづいた東南アジア平和自由中立地帯(ZOPFAN)構想が打ち上げられ、また地域的強靱性がうたわれた。冷戦終結後、東南アジア非核兵器地帯(NWFZ)構想が追求され、また東南アジア友好協力条約(TAC)拡大構想が現実化し、ASEANの東南アジア化、東南アジアのASEAN化が進んだ。それとともに、域外国との関係を深めるため、ASEAN拡大外相会議(CSCE)のアジア太平洋版が提起された。そして、政治・安保対話の「合意」が形成され、93年、ARFの設立が決定される。しかし。、そこには同床異夢的なものがあり、ASEANから見れば、それはPMCの拡大であり、またアメリカ・中国などきわめて異質の国が参加しており、それをまとめる言葉として「似たもの同士──like-minded」が使われる。


第2回

1)アメリカのアジアに対する人権外交

2)東郷育子(広島市立大学広島平和研究所)

3)99年10月22日

4)東京大学大学院総合文化研究科

5)出席者:古城佳子、梅本哲也、恒川恵市、山影進、山本吉宣、増原綾子、平川純子、久松佳影、若松邦弘、劉彗玲、東郷育子



6)概要:

アメリカの人権外交に関して、まず、その範囲(どの程度の人権侵害が対象となるのか)、それを行なう 人と組織(行政府の民主人権局からNGOまで)の3つの観点が示され、ついで、なぜ人権が大きな問題となり、波及していったのかが論じられた。また、人権外交が、どの位成果をあげたのか、それへの反発をどう捉えれば良いのかが議論された。たとえば、アメリカの人権外交への反発は、人権が普遍的なものゆえであり、従って、反発は、逆に人権の普遍性を示すものであると論ぜられた。アメリカがどのような人権外交を展開し、それがどの位有効であるかは、アメリカの影響力、当該国の国内要因、そしてアメリカの国内要因によって決まるという仮説が提示された。そしてその仮説に基づいて、アメリカの対中国の人権外交が分析された。中国に対しては、アメリカの影響力は限られているが、中国の国内体制は、人権、法の整備などで大きく遅れており、アメリカの人権外交の重要な対象となっている。しかし、アメリカの対中人権外交は、大物政治犯の解放等には繋がったが、全体の人権改善に繋がったかは疑問である。さらに、昨今、アメリカの人権外交の対象はアジアに向けられているが、それは、冷戦の終焉、アジアに経済発展、さらに開発独裁は「必要悪」という前提が崩れたからである。アメリカの人権外交は、広く見れば、安全保障が国家のみのものから、個人に拡大し、またそれがグローバルなつながりを持つものになっているという「人間の安全保障」の一環と考えられる。


第3回

1)Stabilizing the Isosceles Triangle: The US-Japan Alliance and the Rise of China

2)Mike Mochizuki (George Washington University)

3)99年10月28日

4)東京大学大学院総合文化研究科

5)出席者:大庭三枝、福元健太郎、池田真亮、千田浩之、梅田真生、ヒョウ駿、保城広至、ウ鉄軍、林光、林成ジョウ、岡田晃枝、板山真弓、久松佳影、山影進、加藤純子、小川裕子、木畑洋一、梅本哲也、山本吉宣、間俊、古城佳子



6)概要:

報告は、(ア)米中日の三局に関する戦略についての米国での議論、(イ)米国の中国に対する政策の類型、(ウ)米国の台湾政策、の3つに焦点を当てる。米国の米中日の三角関係についての考えかたの類型には6つのものがある。一つは、offshore balancing strategyと呼べるものであり、米国は日中のバランスを「外」からとろうとするものである。二つにはengaged balanceであり、米国は関与しつつ日中のバランスをとろうとするものである。三つには、中国を重視し日本を「従属的」なものと見る見方である。四つ目は、日本と組んで中国を封じ込めようとする考え方である。五つ目は、日中間を米国が取り持とうとする考え方である。そして、三つ目は、日米が組んで、中国に制約をかけるとともに中国に関与し中国を国際社会に統合しようとする戦略である。日米の中国に対する政策の類型には4つのものが考えられる。一つは、調整を最小限にして個別に対中二国間関係を展開する、というもの。二つには、役割の分業をもとにコーディネーションをはかるもの。三つには、政策の収斂をもとに明示的なコーディネーションを行うもの。四つには、多角的な枠組みの中で日米が中国に「再保障」を行うもの。これらの政策類型は相互に排他的なものではないし、また時と場合によって使い分けられるべきものである。

台湾問題は、米中が軍事衝突する可能性のある唯一の問題である。そして、台湾問題は近い将来解決するとは思えないし、ますます困難な問題となろう。米国の台湾政策は国内問題が絡み極めて複雑なものである。そして、クリントン政権に見られるように振幅が激しいものとなるであろう。


第4回

1)危機の10年──東アジアの安全保障とアメリカ

2)田中明彦(東京大学東洋文化研究所)

3)99年11月11日

4)東京大学大学院総合文化研究科

5)出席者:田中明彦、恒川恵市、古城佳子、木畑洋一、山影進、梅本哲也、山本吉宣



6)概要:

報告の目的は、1990年代の東アジアの安全保障の構造の特徴を明らかにし、そのなかでアメリカがどのような役割を果たし、またどのような政策を展開してきたかを検討することである。90年代の東アジアの安全保障を見るにあたって、構造的な要因としては、冷戦の終結、民主化、(経済的な)グローバル化の3つをあげることが出来、それぞれの構造的な要因が、さまざまな危機を招来せしめた。90年代、3つの危機があった。朝鮮半島の危機は、冷戦の終結でソ連が崩壊し、ソ連に依存した経済を持つ朝鮮民主主義人民共和国(北朝鮮)がミサイル開発などの冒険的な行動に出たことに起因する。また、台湾海峡の危機は台湾の民主化が大きな背景要因となっている。ところで、東アジアにおいては、日本脅威論、中国脅威論、アメリカ脅威論の3つの脅威論があり、それらも、冷戦の終結、民主化、グローバル化という構造要因と密接な関係を持っている。安全保障のマネージメントのあり方としては、多角的アプローチと2国間アプローチが存在するが、東南アジアを中心とする多角的アプローチは、90年代後半、日米同盟の建て直し、日中関係の管理など2国間アプローチで安定が保たれるようになっている。このようななかで、アメリカの役割は多くの場合決定的なものであるが、しかし、アメリカがどのように関与するかは、アメリカの国内政治によって大きく左右されるのである。


第5回

1)アメリカの「経済安全保障」政策──対中経済政策の変容

2)古城佳子

3)99年3月4日

4)東京大学大学院総合文化研究科

5)参加者:山本吉宣、木畑洋一、恒川恵市、古城佳子、梅本哲也、森拓一郎、宋和変、岡田晃枝、鈴木早苗

6)概要:

アジア太平洋における多角的な安全保障の枠組みは、90年代初頭、カナダ政府などのイニシアティヴによって作られようとしたが、そのアイディアはなかなか受け入れられなかった。それに対して、カナダ政府は、いわゆるトラック2と呼ばれる、非政府の多角的な安全保障の枠組みを作ることを試み、それはCSCAPなどのかたちで現れる。そして、多角的安全保障対話は、90年代を通しておおいに発展するのである(90年には10件であったものが99年には150件となる)。しかし、そのような安全保障対話がどのくらいの効果を持つものか未だ明らかではない。一方で、昨今の、たとえば、アメリカのBMD計画をみても明らかなように、「国益」にもとづいた一方的な行動がみられ、他方では、中国の安全保障対話についてその理解がおおいに進んでいる、という事象も見られる。トラック2の役割はかなり限定されたものであり、国家/政府からより独立的なトラック3ともいうべきものを考えるべきであり、その目的は必ずしも政府の行動に影響を与えるということではなく、アジア太平洋に、civil societyを作り上げていくことである。しかし、中国、韓国、北朝鮮などを見ると、道は遠いといわざるをえない。


第6回

1)非伝統的安全保障:米国の国際麻薬政策

2)恒川恵市(東京大学)

3)2000年1 月21 日

4)東京大学大学院総合文化研究科

5)参加者:梅本哲也、木畑洋一、山影進、古城佳子、恒川恵市

6)概要:

米国における麻薬消費者数は1979 年をピークに一時半減したが、高校生の間での消費が増えたり麻薬による死亡者が増えたりと、相変わらず深刻な状態は続いている。「反麻薬戦争」が宣言されたレーガン政権の時代には、政府や議会の高官から麻薬密輸は国家安全保障上の脅威であるとの言説がしばしばなされた。クリントン政権になって麻薬問題が国家安全保障上の課題として喧伝されることはなくなったが、「市民の安全保障」への脅威であるとの主張は続いており、冷戦終結後の今日、麻薬問題が従来の国家安全保障政策に代わる「非伝統的安全保障」上の重要課題として意識されていることは間違いあるまい。 米国の国際麻薬政策の主な対象は、(1 )コカインとマリファナの生産国・中継国であるペルー・ボリビア・コロンビア・中米カリブ・メキシコ、(2 )ヘロインの生産国・中継国であるミャンマー・タイ・インドシナ(=黄金の三角形)および(3 )パキスタン・アフガニスタン・イラン(=黄金の三日月形)の3 カ所であるが、このうち(1 )と(2 )はアジア太平洋地域に属していることから、アジア太平洋地域における米国の役割を考える上でも、麻薬問題は不可避のテーマであると言える。

国際麻薬政策の実行にあたり米国が直面してきた問題は3 つある。一つは反共産主義という課題と麻薬対策との関係であり、しばしば米国は反共産主義勢力が麻薬密輸で資金稼ぎをするのを見逃し、その結果「黄金の三角形」や「黄金の三日月形」が米国市場へのヘロイン生産地として育つのを助けてしまった。中南米においても亡命キューバ人の麻薬ビジネスを見逃したことがアンデスの麻薬栽培を拡大させる伏線となった。冷戦終結後は人権・民主主義擁護という課題と麻薬対策が矛盾する例が見られるようになっている。

米国の国際麻薬政策の第二の問題は、政策実行にあたって多国間主義アプローチをとるか、二国間主義ないし単独主義をとるかという点である。戦前の米国は多国間主義をとったが、第二次世界大戦後は、独自の政策要件を掲げて相手国に除草剤の散布や麻薬組織の摘発・米国への引き渡しなどを迫る単独主義が主流となった。1986 年以降は大統領が非協力国と認定した国には二国間・多国間援助を停止することになった。

第三に麻薬対策をするにあたり供給側の対策を重視するのか需要側の対策を重視するのかが、国内的にも国際的にも問題とされてきた。ブッシュ政権時代まで米国は供給側の対策を重視し、生産国・中継国での麻薬摘発をめざして捜査官や軍人を送り込むことまでやったが、クリントン政権は国際的な批判を考慮して、米国内での教育・リハビリ・法執行にも同等の力を注ぐ「包括的アプローチ」を標榜している。しかし、単独主義による供給地での活動をやめたわけではなく、米国の政策自身に上の第1 点のような矛盾があることもあって、生産国・中継国との間で摩擦が絶えないのが現状である。将来アジア太平洋において麻薬対策を構想する場合、このような米国の単独主義とどう対応するのか、米国も納得する地域的レジームを作れるのかが重大な課題となるだろう。